私がモラトリアム人間になるまでの話
1.私がモラトリアム人間になるまでの話 -本気人との出会い-
大学に入ってからの私は世間体に縛られず、何かに夢中になって本気で打ち込む人達(本気人と呼んでいる)に憧れていた。
本気人に出会う前の私は人気者になることを目的に行動していた。良い大学に入るために狂ったように勉強したり、恋人を得るために必死になったり、将来は一流企業に就職して社会的にも経済的にも高い地位を獲得しようと思ったりと今振り返ると愚か者だったと思う。本気人はそのような固定観念を悉く粉砕した。それは私をモラトリアム人間にするきっかけでもあった。
本気人になるために目をつけたのが国際関係だった。理由は多くの本気人が留学経験者だったからである。長い休みに入る度に留学したり、国際機関や海外の企業にインターンをしたりした。その際周りには「英語力を上げるため」だったり「大学では学べない実地的な経験を積むため」だったりとそれっぽいことを口実として言い聞かせていた。
しかし、肝心ともいえる「将来本気でやりたいこと」は分からないままだった。せいぜい私が理系であることから大学院に進んで、専門的な見地を深めて民間の研究開発職だったり技術屋だったりになればいいくらいにしか考えられていなかった。ある時、研究者を目指す本気人に将来どうするのかについて訪ねてみたことがある。私は本気人のことだから、具体的な将来の戦略があるのだろうと思っていたが、答えは
「まだ分からない。将来どこの大学院に進むのかも決めていない。少なくとも民間には就職しないんじゃない?」
と予想外のものだった。ただ、本気人の「分からない」といった時の目には確かな自信があり私の分からないとは明確に違いがあることだけは肌に感じた。例えるなら、本気人には北極星のような指針となるものが見えていて、だからこそ嬉々として自信をもって前に進めている風に見えた。この時、私のこれまでしてきたことは将来の自分のために今の自分に我慢を強いる行為であり、それは自己犠牲という点で私が人気者になるためにやってきたことと変わらなかったことに気づかされた。
このような出来事を繰り返して私は本気人にも普通の人にもなれない中途半端で空虚なモラトリアム人間となった。
2.モラトリアム人間の展望
モラトリアムを終えた人は世間から「大人」とみなされる。モラトリアムは大人になるために何かを得たり捨てたりするために社会から与えられた猶予なのだろう。当然、中には自分にとって大切なことが分からず不完全燃焼の状態でモラトリアムを終えてしまう人もいる。それでも普通の人は忙しい日々に明け暮れるうちに時間が折り合いをつけてくれて大人になるのだと勝手に想像している。
しかし、私のようなモラトリアム人間はそのような器用な真似はできないと思われる。大人になっても心の片隅で本気人が持っている北極星を羨むものの、探す時間もないためいつまでもくすぶり続けてしまうのだろう。どうせモラトリアム期間を過ごすのなら、大切なもの━自分にとっては純粋な動機で本気で打ち込めるもの━を見つけて本当の意味で大人になりたい。