脱モラトリアム奮闘記

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【書評】世界の数だけ、「普通」がある―コンビニ人間・考察

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こんにちは、モラトリアム人間です。今回は前回紹介した「コンビニ人間」を読んだ感想と考察についてまとめました。ここからはネタバレをゴリゴリしていくので、未読の方は前回のネタバレを極力さけた記事の方を読むことをおすすめします。

moratorium040.hatenablog.com

目次

3つの疑問に対する考察

疑問その1:主人公は何故コンビニに長く居続けられるのか?

このことに関しては、巻末で中村文則氏が解説しているように主人公の合理的で人間味のない性格と、コンビニのマニュアルに徹底した無駄のない性質とが奇跡的に合致したからであろう。主人公の行動―喧嘩を止めるためにスコップで暴れる男子の頭を殴る、他人に干渉されるのを防ぐために白羽と同棲生活を始める―は突飛な行動にみえるが、こうした行為の背景には全て「一番手っ取り早いから」という無機質ではあるが確かな理由がある。

 しかし、作中で 「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される」 と述べているように、正常な世界に住む周りの人は、異物が出てきたらオブラートに包んだカタチで解決したがるのだ。だから、主人公の直接的すぎる行動は受け入れられないのである。

 一方でコンビニの性質は「強制的に正常化される場所」なのである。だからこそ、コンビニ店員としては不適格である白羽を一方的に解雇しても―すなわち「一番手っ取り早い」方法で解決しても―コンビニの世界ではそういう場所だからという理由で受け入れられるのだ。

 このような性質の合致があったからこそ、主人公はコンビニで18年間も居続けられたのである。

疑問その2:主人公と白羽は世間からは同じ「異物」として認識されているが、2人を「同じ異物」としてかこつけてしまって良いのか?

結論からして、私は2人を「同じ異物」としてかこつけるべきでないと思っている。理由は主人公と白羽は根本的な部分から違うからである。 確かに、

・白羽の義妹の発言「ある意味お似合い」

・主人公の発言「(白羽が)まるで私みたいだ。人間っぽい言葉を発しているけれど、何も喋っていない。」

とあるように、世間だけでなく主人公自身までもが「同じ異物」と認識している場面がある。

しかし、その一方で

・主人公の発言「携帯をバイト中に持ち歩かないのは、基本的なルールだ。(白羽が)何でそんな簡単なことを破ってしまうのか私には理解できなかった。」

・ラストで主人公と白羽が仲違いしている。

とあるように、主人公と白羽が区別されていることを示唆する描写もある。 では一体主人公と白羽はどこが根本的にちがうのだろうか?

人間を選ぶかコンビニ店員を選ぶか

この1点だけで主人公と白羽は明確に区別される。要は優先順位の問題だ。 主人公は「私は人間である以上にコンビニ店員なんです」と述べているように、主人公はコンビニ店員であることを選んだ。そのことに対し白羽は「狂ってる。そんな生き物を、世界は許しませんよ。ムラの掟に反している!」と反論していることから、彼は人間であることを選んでいることが読み取れる。

 次に世間一般の人々はどちらを選択するだろうか?当然、人間であることを選ぶ。だからこそ、店長やその他コンビニ店員はコンビニの仕事を放棄し、主人公に対し質問責めしたのである。

 ここで重要なのは、世間からすると主人公は白羽とは比べ物にならないほどに「異物」だということである。白羽は「縄文時代の掟」を常識としている点では変人だが、それでも世間からは縄文時代の古臭い人間」という評価にとどまり、まだ人間ではあるのだ。一方で主人公はコンビニの店員を選んだ際、白羽から「お前なんか、人間じゃない」と言われているように、もはや人間ですらないのである。後にでも触れるが、主人公は「あちら側」、白羽は「こちら側」と世間からは区別されてしまうのである。

疑問その3:そもそも何故人間社会は「異物」を見つけたら、排除しようとするのか?

彼らは「異物は理解のできない気持ちの悪いもの」と考えるから、必死に排除しようとするのだと私は思っている。いいかえると、人間は理解できない異物が近くにいるだけでも気分が悪くなる、だから彼らは見て見ぬふりをするか、自分の都合のいいように解釈することによって気分を解消する。これが異物を排除するということだ。

   もちろん、その主張の根拠は明確にある。大きく分けて二つだ。一つ目は主人公の同棲の真意を知った妹が絶望し黙ったかと思いきや、白羽が弁明した途端、水を得た魚のようにまくしたてた場面である。この妹の心情の変化は一体何なのか?以下の主人公のセリフがその全てを語っている。

叱るのは、「こちら側」の人間だと思っているからなんだ。だから何も問題は起きてないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいるほうが、妹はずっと嬉しいのだ。そのほうがずっと妹にとって理解可能な、正常な世界なのだ。

   妹にとっては「あちら側」は理解できないものであるから、絶望し言葉を失った。しかし白羽の「弁明」により、妹は姉が「こちら側」にいると都合よく解釈した。理解ができたからこそ、妹はあからさまな排除(拒絶反応)をせず、安心し、説教を始めたのだ。(結局は都合よく解釈することで「見て見ぬふり」をしているので、遠回しに排除しているのだが...)

2つめは主人公が白羽と同棲するまで、コンビニのメンバーの飲み会に誘われていなかったという事実である。ここで何故主人公は今まで誘われてなかったのかという疑問がでてくる。これも「理解できないものは拒絶する考え」によって説明できる。要は主人公は当初は「理解できない」ものとして店長たちから拒絶されていたのだ。ところが彼女が「同棲」という人間社会にとって「普通」のことをし始めたことにより、彼らは主人公を「理解できるもの」と評価を変えた。だからこそ排除することをやめ、飲み会に誘いだしたのである。

 以上の2点が私の主張:「人間が異物を排除したがるのは、それが単純に理解できない気持ちの悪いものだから」の根拠である。

終わりに

皆さんは環世界をご存知だろうか。環世界は理論生物学者であるユクスキュルが提唱した概念であり、「全ての生物は別々の世界(時間と空間)で生きている」というややこしいものである。

この概念を理解するために、よく引き合いにだされるのは、ダニの吸血プロセスである。ダニは枝までよじ登って、哺乳類が近くに来るまで待つ。哺乳類が枝の下を通ったら、ダニはダイブする。着地に成功したら皮ふから血を吸う。 この吸血プロセスは極めて簡単なことのように思えるが、それはあくまで「人間からすると」である。ダニには聴覚も視覚もない。ダニは非常に発達した嗅覚と触覚を用いて以下に挙げる3つを順番に感知する。

1.(哺乳類が発する)酪酸のにおい

2. 37℃の温度

3.体毛の少ない皮膚組織

ダニはこの3つを順番に感知して初めて、吸血が成功したと判断する。それ以外は太陽の光も虫の鳴き声も何も感知しない。また、温度が38℃だったり、順序が異なったりと少しでも条件を満たさないと「失敗」と判断し、また枝までのぼり哺乳類が近くに来るまで待つ。

この「待つ」という行為に関して驚くべきことが、最長で18年も絶食状態で待ち続けたダニが確認されたことである。このことは、人間からすると突拍子もなさ過ぎて理解不能だ。だが、ダニの世界にとってはこれが「当たりまえ」なのである。(この環世界についてより詳しく知りたい方はユクスキュル著「生物から見た世界」を読むことをおススメする。)

何が伝えたかったというと、コンビニ人間においてもコンビニの世界、既婚者の世界、サラリーマンの世界に各々の「普通」があるわけで、主人公以外の「人間」が人間の世界の「普通」を押し付けたり排斥したりするのは多数派の暴力であり、傲慢だということである。

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